とか何《なん》とか云つてゐる。自分は敷島《しきしま》を啣《くは》へて、まだ仏頂面《ぶつちやうづら》をしてゐたが、やはりこの絵を見てゐると、落着きのある、朗《ほがらか》な好《い》い心もちになつて来た。
 が、暫《しばら》くすると住職の坊さんが、小林君の方を向いて、こんな事を云った。
「もう少しすると、又一つ茶席が建ちます。」
 小林君もこれには聊《いささ》か驚いたらしい。
「又光悦会ですか。」
「いいえ、今度は個人でございます。」
 自分は忌々《いまいま》しいのを通り越して、へんな心もちになつた。一体|光悦《くわうえつ》をどう思つてゐるのだか、光悦寺をどう思つてゐるのだか、もう一つ序《ついで》に鷹ヶ峯をどう思つてゐるのだか、かうなると、到底《たうてい》自分には分らない。そんなに茶席が建てたければ、茶屋四郎次郎《ちややしらうじらう》の邸跡《やしきあと》や何かの麦畑でも、もつと買占めて、むやみに囲ひを並べたらよからう。さうしてその茶席の軒《のき》へ額《がく》でも提灯《ちやうちん》でもべた一面に懸けるが好《よ》い。さうすれば自分も始めから、わざわざ光悦寺などへやつて来はしない。さうとも。誰が来るものか。
 後《あと》で外へ出たら、小林君が「好《い》い時に来ました。この上茶席が建つたらどうもなりません。」と云つた。さう思つて見れば確《たしか》に好い時に来たのである。が、一つの茶席もない、更に好い時に来なかつたのは、返す返すも遺憾《ゐかん》に違ひない。――自分は依然として仏頂面《ぶつちやうづら》をしながら、小林君と一しよに竹藪の後《うしろ》に立つてゐる寂しい光悦寺の門を出た。

     竹

 或|雨《あま》あがりの晩に車に乗つて、京都の町を通つたら、暫《しばら》くして車夫《しやふ》が、どこへつけますとか、どこへつけやはりますとか、何とか云つた。どこへつけるつて、宿《やど》へつけるのにきまつてゐるから、宿だよ、宿だよと桐油《とうゆ》の後《うしろ》から、二度ばかり声をかけた。車夫はその御宿《おやど》がわかりませんと云つて、往来《わうらい》のまん中に立ち止まつた儘、動かない。さう云はれて見ると、自分も急に当惑《たうわく》した。宿の名前は知つてゐるが、宿の町所《ちやうどころ》は覚えてゐない。しかもその名前なるものが、甚《はなはだ》平凡を極《きは》めてゐるのだから、それだけでは、いく
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