》に生き返って来たものは、当時の私が妻の小夜《さよ》を内心憎んでいたと云う、忌《いま》わしい事実でございます。これは恥を御話しなければ、ちと御会得《ごえとく》が参らないかも存じませんが、妻は不幸にも肉体的に欠陥のある女でございました。(以下八十二行省略)………そこで私はその時までは、覚束《おぼつか》ないながら私の道徳感情がともかくも勝利を博したものと信じて居ったのでございます。が、あの大地震のような凶変《きょうへん》が起って、一切の社会的束縛が地上から姿を隠した時、どうしてそれと共に私の道徳感情も亀裂《きれつ》を生じなかったと申せましょう。どうして私の利己心も火の手を揚げなかったと申せましょう。私はここに立ち至ってやはり妻を殺したのは、殺すために殺したのではなかったろうかと云う、疑惑を認めずには居られませんでした。私がいよいよ幽鬱になったのは、むしろ自然の数《すう》とでも申すべきものだったのでございます。
しかしまだ私には、「あの場合妻を殺さなかったにしても、妻は必ず火事のために焼け死んだのに相違ない。そうすれば何も妻を殺したのが、特に自分の罪悪だとは云われない筈だ。」と云う一条の血路がございました。所がある日、もう季節が真夏から残暑へ振り変って、学校が始まって居た頃でございますが、私ども教員が一同教員室の卓子《テエブル》を囲んで、番茶を飲みながら、他曖《たわい》もない雑談を交して居りますと、どう云う時の拍子だったか、話題がまたあの二年以前の大地震に落ちた事がございます。私はその時も独り口を噤《つぐ》んだぎりで、同僚《どうりょう》の話を聞くともなく聞き流して居りましたが、本願寺の別院の屋根が落ちた話、船町《ふなまち》の堤防が崩れた話、俵町《たわらまち》の往来の土が裂けた話――とそれからそれへ話がはずみましたが、やがて一人の教員が申しますには、中町《なかまち》とかの備後屋《びんごや》と云う酒屋の女房は、一旦|梁《はり》の下敷になって、身動きも碌《ろく》に出来なかったのが、その内に火事が始って、梁も幸《さいわい》焼け折れたものだから、やっと命だけは拾ったと、こう云うのでございます。私はそれを聞いた時に、俄《にわか》に目の前が暗くなって、そのまましばらくは呼吸さえも止るような心地が致しました。また実際その間は、失心したも同様な姿だったのでございましょう。ようやく我に返っ
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