《つもり》だったのだ。』三浦はこう云いながら、また眼を向う河岸《がし》の空へ送りました。が、空はまるで黒幕でも垂らしたように、椎《しい》の樹《き》松浦《まつうら》の屋敷の上へ陰々と蔽いかかったまま、月の出らしい雲のけはいは未《いまだ》に少しも見えませんでした。私は巻煙草に火をつけた後で、『それから?』と相手を促しました。三浦『所が僕はそれから間もなく、妻の従弟の愛情《アムウル》が不純な事を発見したのだ。露骨に云えばあの男と楢山夫人との間にも、情交のある事を発見したのだ。どうして発見したかと云うような事は、君も格別聞きたくはなかろうし、僕も今更話したいとは思わない。が、とにかくある極めて偶然な機会から、僕自身彼等の密会する所を見たと云う事だけ云って置こう。』私は巻煙草の灰を舷《ふなばた》の外に落しながら、あの生稲《いくいね》の雨の夜の記憶を、まざまざと心に描き出しました。が、三浦は澱《よど》みなく言《ことば》を継《つ》いで、『これが僕にとっては、正に第一の打撃だった。僕は彼等の関係を肯定してやる根拠の一半を失ったのだから、勢い、前のような好意のある眼で、彼等の情事を見る事が出来なくなって
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