敷で、江戸の昔を偲《しの》ばせるような遠三味線《とおじゃみせん》の音《ね》を聞きながら、しばらく浅酌《せんしゃく》の趣を楽んでいると、その中に開化の戯作者《げさくしゃ》のような珍竹林《ちんちくりん》主人が、ふと興に乗って、折々軽妙な洒落《しゃれ》を交えながら、あの楢山《ならやま》夫人の醜聞《スカンダアル》を面白く話して聞かせ始めました。何でも夫人の前身は神戸あたりの洋妾《らしゃめん》だと云う事、一時は三遊亭円暁《さんゆうていえんぎょう》を男妾《おとこめかけ》にしていたと云う事、その頃は夫人の全盛時代で金の指環ばかり六つも嵌《は》めていたと云う事、それが二三年|前《まえ》から不義理な借金で、ほとんど首もまわらないと云う事――珍竹林主人はまだこのほかにも、いろいろ内幕《うちまく》の不品行を素《す》っぱぬいて聞かせましたが、中でも私の心の上に一番不愉快な影を落したのは、近来はどこかの若い御新造《ごしんぞう》が楢山夫人の腰巾着《こしぎんちゃく》になって、歩いていると云う風評でした。しかもこの若い御新造は、時々女権論者と一しょに、水神《すいじん》あたりへ男連れで泊りこむらしいと云うじゃありません
前へ 次へ
全40ページ中28ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
芥川 竜之介 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング