つきじ》居留地の図――ですか。図どりが中々巧妙じゃありませんか。その上明暗も相当に面白く出来ているようです。」
 子爵は小声でこう云いながら、細い杖の銀の握りで、硝子戸棚の中の絵をさし示した。私《わたくし》は頷《うなず》いた。雲母《きらら》のような波を刻んでいる東京湾、いろいろな旗を翻《ひるがえ》した蒸汽船、往来を歩いて行く西洋の男女の姿、それから洋館の空に枝をのばしている、広重《ひろしげ》めいた松の立木――そこには取材と手法とに共通した、一種の和洋|折衷《せっちゅう》が、明治初期の芸術に特有な、美しい調和を示していた。この調和はそれ以来、永久に我々の芸術から失われた。いや、我々が生活する東京からも失われた。私が再び頷《うなず》きながら、この築地《つきじ》居留地の図は、独り銅版画として興味があるばかりでなく、牡丹《ぼたん》に唐獅子《からじし》の絵を描いた相乗《あいのり》の人力車《じんりきしゃ》や、硝子取《ガラスど》りの芸者の写真が開化《かいか》を誇り合った時代を思い出させるので、一層|懐《なつか》しみがあると云った。子爵はやはり微笑を浮べながら、私の言《ことば》を聞いていたが、静にその
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