が破傷風《はしょうふう》になった事、都座《みやこざ》の西洋手品を見に行った事、蔵前《くらまえ》に火事があった事――一々数え立てていたのでは、とても際限がありませんが、中でも一番嬉しそうだったのは、彼が五姓田芳梅《ごぜたほうばい》画伯に依頼して、細君の肖像画《しょうぞうが》を描《か》いて貰ったと云う一条です。その肖像画は彼が例のナポレオン一世の代りに、書斎の壁へ懸けて置きましたから、私も後《のち》に見ましたが、何でも束髪《そくはつ》に結《ゆ》った勝美婦人《かつみふじん》が毛金《けきん》の繍《ぬいとり》のある黒の模様で、薔薇《ばら》の花束を手にしながら、姿見の前に立っている所を、横顔《プロフィイル》に描いたものでした。が、それは見る事が出来ても、当時の快活な三浦自身は、とうとう永久に見る事が出来なかったのです。……」
本多子爵《ほんだししゃく》はこう云って、かすかな吐息《といき》を洩しながら、しばらくの間口を噤《つぐ》んだ。じっとその話に聞き入っていた私は、子爵が韓国《かんこく》京城《けいじょう》から帰った時、万一三浦はもう物故《ぶっこ》していたのではないかと思って、我知らず不安の眼を相
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