もっともこの問題はいずれにせよ、とにかく珍竹林《ちんちくりん》主人から聞いた話だけは、三浦の身にとって三考にも四考にも価する事ですから、私はその翌日すぐに手紙をやって、保養がてら約束の釣《つり》に出たいと思う日を知らせました。するとすぐに折り返して、三浦から返事が届きましたが、見るとその日は丁度|十六夜《じゅうろくや》だから、釣よりも月見|旁《かたがた》、日の暮から大川へ舟を出そうと云うのです。勿論私にしても格別釣に執着があった訳でもありませんから、早速彼の発議《ほつぎ》に同意して、当日は兼ねての約束通り柳橋の舟宿《ふなやど》で落合ってから、まだ月の出ない中に、猪牙舟《ちょきぶね》で大川へ漕ぎ出しました。
「あの頃の大川《おおかわ》の夕景色は、たとい昔の風流には及ばなかったかも知れませんが、それでもなお、どこか浮世絵じみた美しさが残っていたものです。現にその日も万八《まんぱち》の下を大川筋へ出て見ますと、大きく墨をなすったような両国橋の欄干《らんかん》が、仲秋のかすかな夕明りを揺《ゆらめ》かしている川波の空に、一反《ひとそ》り反《そ》った一文字を黒々とひき渡して、その上を通る車馬の影が、早くも水靄《すいあい》にぼやけた中には、目まぐるしく行き交う提灯《ちょうちん》ばかりが、もう鬼灯《ほおづき》ほどの小ささに点々と赤く動いていました。三浦『どうだ、この景色は。』私『そうさな、こればかりはいくら見たいと云ったって、西洋じゃとても見られない景色かも知れない。』三浦『すると君は景色なら、少しくらい旧弊《きゅうへい》でも差支えないと云う訳か。』私『まあ、景色だけは負けて置こう。』三浦『所が僕はまた近頃になって、すっかり開化なるものがいやになってしまった。』私『何んでも旧幕の修好使《しゅうこうし》がヴルヴァルを歩いているのを見て、あの口の悪いメリメと云うやつは、側にいたデュマか誰かに「おい、誰が一体日本人をあんな途方《とほう》もなく長い刀に縛《しば》りつけたのだろう。」と云ったそうだぜ。君なんぞは気をつけないと、すぐにメリメの毒舌でこき下《おろ》される仲間らしいな。』三浦『いや、それよりもこんな話がある。いつか使に来た何如璋《かじょしょう》と云う支那人は、横浜の宿屋へ泊って日本人の夜着を見た時に、「是《これ》古《いにしえ》の寝衣《しんい》なるもの、此邦《このくに》に夏周《かしゅ
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