が、もしそうだとすれば、なぜまたあの理想家の三浦ともあるものが、離婚を断行しないのでしょう。姦通の疑惑は抱いていても、その証拠がないからでしょうか。それともあるいは証拠があっても、なお離婚を躊躇するほど、勝美夫人を愛しているからでしょうか。私はこんな臆測を代り代り逞《たくまし》くしながら、彼と釣りに行く約束があった事さえ忘れ果てて、かれこれ半月ばかりの間というものは、手紙こそ時には書きましたが、あれほどしばしば訪問した彼の大川端の邸宅にも、足踏さえしなくなってしまいました。ところがその半月ばかりが過ぎてから、私はまた偶然にもある予想外な事件に出合ったので、とうとう前約を果し旁《かたがた》、彼と差向いになる機会を利用して、直接彼に私の心労を打ち明けようと思い立ったのです。
「と云うのはある日の事、私はやはり友人のドクトルと中村座《なかむらざ》を見物した帰り途に、たしか珍竹林《ちんちくりん》主人とか号していた曙《あけぼの》新聞でも古顔の記者と一しょになって、日の暮から降り出した雨の中を、当時|柳橋《やなぎばし》にあった生稲《いくいね》へ一盞《いっさん》を傾けに行ったのです。所がそこの二階座敷で、江戸の昔を偲《しの》ばせるような遠三味線《とおじゃみせん》の音《ね》を聞きながら、しばらく浅酌《せんしゃく》の趣を楽んでいると、その中に開化の戯作者《げさくしゃ》のような珍竹林《ちんちくりん》主人が、ふと興に乗って、折々軽妙な洒落《しゃれ》を交えながら、あの楢山《ならやま》夫人の醜聞《スカンダアル》を面白く話して聞かせ始めました。何でも夫人の前身は神戸あたりの洋妾《らしゃめん》だと云う事、一時は三遊亭円暁《さんゆうていえんぎょう》を男妾《おとこめかけ》にしていたと云う事、その頃は夫人の全盛時代で金の指環ばかり六つも嵌《は》めていたと云う事、それが二三年|前《まえ》から不義理な借金で、ほとんど首もまわらないと云う事――珍竹林主人はまだこのほかにも、いろいろ内幕《うちまく》の不品行を素《す》っぱぬいて聞かせましたが、中でも私の心の上に一番不愉快な影を落したのは、近来はどこかの若い御新造《ごしんぞう》が楢山夫人の腰巾着《こしぎんちゃく》になって、歩いていると云う風評でした。しかもこの若い御新造は、時々女権論者と一しょに、水神《すいじん》あたりへ男連れで泊りこむらしいと云うじゃありません
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