りやうはう》の上に酣酔《かんすゐ》したる、かの肥大|豕《ゐ》の如き満村恭平をも記憶す可し。否、否、彼の黒絽《くろろ》の羽織に抱明姜《だきめうが》の三つ紋ありしさへ、今に至つて予は忘却する能はざるなり。予は信ず。予が彼を殺害せんとするの意志を抱きしは、実にこの水楼煙火《すゐろうえんくわ》を見しの夕《ゆふべ》に始る事を。又信ず。予が殺人の動機なるものは、その発生の当初より、断じて単なる嫉妬の情にあらずして、寧《むしろ》不義を懲《こら》し不正を除かんとする道徳的憤激に存せし事を。
爾来予は心を潜めて、満村恭平の行状に注目し、その果して予が一夕の観察に悖《もと》らざる痴漢なりや否やを検査したり。幸《さいはひ》にして予が知人中、新聞記者を業とするもの、啻《ただ》に二三子に止らざりしを以て、彼が淫虐無道の行跡の如きも、その予が視聴に入らざるものは絶無なりしと云ふも妨げざる可し。予が先輩にして且知人たる成島柳北《なるしまりうほく》先生より、彼が西京祇園《さいきやうぎをん》の妓楼に、雛妓《すうぎ》の未《いまだ》春を懐《いだ》かざるものを梳※[#「木+龍」、第4水準2−15−78]《そろう》して、以て死に到らしめしを仄聞《そくぶん》せしも、実に此間の事に属す。しかもこの無頼《ぶらい》の夫にして、夙《つと》に温良貞淑の称ある夫人明子を遇するや、奴婢《どひ》と一般なりと云ふに至つては、誰か善く彼を目して、人間の疫癘《えきれい》と做《な》さざるを得んや。既に彼を存するの風を頽《おと》し俗を濫《みだ》る所以《ゆゑん》なるを知り、彼を除くの老を扶《たす》け幼を憐む所以なるを知る。是に於て予が殺害の意志たりしものは、徐《おもむろ》に殺害の計画と変化し来れり。
然れども若し是に止らんか、予は恐らく予が殺人の計画を実行するに、猶《なほ》幾多の逡巡なきを得ざりしならん。幸か、抑亦《そもまた》不幸か、運命はこの危険なる時期に際して、予を予が年少の友たる本多子爵と、一夜|墨上《ぼくじやう》の旗亭|柏屋《かしはや》に会せしめ、以て酒間その口より一場の哀話を語らしめたり。予はこの時に至つて、始めて本多子爵と明子とが、既に許嫁《いひなづけ》の約ありしにも関らず、彼《かの》、満村恭平が黄金の威に圧せられて、遂に破約の已《や》む無きに至りしを知りぬ。予が心、豈《あに》憤《いきどほり》を加へざらんや。かの酒燈一穂《しゆとういつすゐ》、画楼簾裡《ぐわろうれんり》に黯淡《あんたん》たるの処、本多子爵と予とが杯《はい》を含んで、満村を痛罵せし当時を思へば、予は今に至つて自《おのづか》ら肉動くの感なきを得ず。されど同時に又、当夜人力車に乗じて、柏屋より帰るの途、本多子爵と明子との旧契を思ひて、一種名状す可らざる悲哀を感ぜしも、予は猶|明《あきらか》に記憶する所なり。請ふ。再び予が日記を引用するを許せ。「予は今夕本多子爵と会してより、愈《いよいよ》旬日の間に満村恭平を殺害す可しと決心したり。子爵の口吻より察するに、彼と明子とは、独り許嫁の約ありしのみならず、又実に相愛の情を抱きたるものの如し。(予は今日にして、子爵の独身生活の理由を発見し得たるを覚ゆ)若し予にして満村を殺害せんか、子爵と明子とが伉儷《かうれい》を完《まつた》うせんは、必しも難事にあらず。偶《たまたま》明子の満村に嫁して、未《いまだ》一児を挙げざるは、恰《あたか》も天意亦予が計画を扶《たす》くるに似たるの観あり。予はかの獣心の巨紳を殺害するの結果、予の親愛なる子爵と明子とが、早晩幸福なる生活に入らんとするを思ひ、自《おのづか》ら口辺の微笑を禁ずる事能はず。」
今や予が殺人の計画は、一転して殺人の実行に移らんとす。予は幾度か周密なる思慮に思慮を重ねたるの後、漸《やうや》くにして満村を殺害す可き適当なる場所と手段とを選定したり。その何処《いづこ》にして何なりしかは、敢て詳細なる叙述を試みるの要なかる可し。卿等にして猶明治十二年六月十二日、独逸《ドイツ》皇孫殿下が新富座に於て日本劇を見給ひしの夜、彼、満村恭平が同|戯場《ぎぢやう》よりその自邸に帰らんとするの途次、馬車中に於て突如病死したる事実を記憶せんか、予は新富座に於て満村の血色|宜《よろ》しからざる由を説き、これに所持の丸薬の服用を勧誘したる、一個壮年のドクトルありしを語れば足る。嗚呼、卿等請ふ、そのドクトルの面《おもて》を想像せよ。彼は※[#「壘」の「土」に代えて「糸」、第3水準1−90−24]々《るゐるゐ》たる紅球燈の光を浴びて、新富座の木戸口に佇《たたず》みつつ、霖雨の中に奔馳《ほんち》し去る満村の馬車を目送するや、昨日の憤怨、今日の歓喜、均《ひと》しく胸中に蝟集《ゐしふ》し来り、笑声|嗚咽《をえつ》共に唇頭《しんとう》に溢れんとして、殆《ほとんど》処の何処《いづこ》たる、時の何時《なんどき》たるを忘却したりき。しかもその彼が且泣き且笑ひつつ、蕭雨《せうう》を犯し泥濘《でいねい》を踏んで、狂せる如く帰途に就きしの時、彼の呟《つぶや》いて止めざりしものは明子の名なりしをも忘るる事勿れ。――「予は終夜眠らずして、予が書斎を徘徊《はいくわい》したり。歓喜か、悲哀か、予はそを明にする能はず。唯、或云ひ難き強烈なる感情は、予の全身を支配して、一霎時《いつせふじ》たりと雖《いへど》も、予をして安坐せざらしむるを如何《いかん》。予が卓上には三鞭酒《シヤンペンしゆ》あり。薔薇の花あり。而して又かの丸薬の箱あり。予は殆《ほとんど》、天使と悪魔とを左右にして、奇怪なる饗宴を開きしが如くなりき……。」
予は爾来《じらい》数ヶ月の如く、幸福なる日子《につし》を閲《けみ》せし事あらず。満村の死因は警察医によりて、予の予想と寸分の相違もなく、脳出血の病名を与へられ、即刻地下六尺の暗黒に、腐肉を虫蛆《ちうそ》の食としたるが如し。既に然り、誰か又予を目して、殺人犯の嫌疑ありと做《な》すものあらん。しかも仄聞《そくぶん》する所によれば、明子はその良人の死に依りて、始めて蘇色ありと云ふにあらずや。予は満面の喜色を以て予の患者を診察し、閑《ひま》あれば即《すなはち》本多子爵と共に、好んで劇を新富座に見たり。是全く予にとりては、予が最後の勝利を博せし、光栄ある戦場として、屡《しばしば》その花瓦斯《はなガス》とその掛毛氈《かけまうせん》とを眺めんとする、不思議なる欲望を感ぜしが為のみ。
然れどもこは真に、数ヶ月の間なりき。この幸福なる数ヶ月の経過すると共に、予は漸次予が生涯中最も憎む可き誘惑と闘ふ可き運命に接近しぬ。その闘《たたかひ》の如何に酷烈を極めたるか、如何に歩々《ほほ》予を死地に駆逐したるか。予は到底|茲《ここ》に叙説するの勇気なし。否、この遺書を認《したた》めつつある現在さへも、予は猶この水蛇《ハイドラ》の如き誘惑と、死を以て闘はざる可らず。卿等にして若し、予が煩悶の跡を見んと欲せば、請ふ、以下に抄録せんとする予が日記を一瞥《いちべつ》せよ。
「十月×日、明子、子なきの故を以て満村家を去る由、予は近日本多子爵と共に、六年ぶりにて彼女と会見す可し。帰朝以来、始《はじめ》予は彼女を見るの己《おのれ》の為に忍びず、後は彼女を見るの彼女の為に忍びずして、遂に荏苒《じんぜん》今日に及べり。明子の明眸《めいぼう》、猶六年以前の如くなる可きや否や。
「十月×日、予は今日本多子爵を訪れ、始めて共に明子の家に赴《おもむ》かんとしぬ。然るに豈《あに》計《はか》らんや、子爵は予に先立ちて、既に彼女を見る事両三度なりと云はんには。子爵の予を疎外する、何ぞ斯《か》くの如く甚しきや。予は甚しく不快を感じたるを以て、辞を患者の診察に託し、※[#「勹<夕」、第3水準1−14−76]惶《そうくわう》として子爵の家を辞したり。子爵は恐らく予の去りし後、単身明子を訪れしならんか。
「十一月×日、予は本多子爵と共に、明子を訪《と》ひぬ。明子は容色の幾分を減却したれども、猶|紫藤花下《しとうくわか》に立ちし当年の少女を髣髴《はうふつ》するは、未《いまだ》必しも難事にあらず。嗚呼《ああ》予は既に明子を見たり。而して予が胸中、反つて止む可らざる悲哀を感ずるは何ぞ。予はその理由を知らざるに苦む。
「十二月×日、子爵は明子と結婚する意志あるものの如し。斯くして予が明子の夫を殺害したる目的は、始めて完成の域に達するを得ん。されど――されど、予は予が再《ふたたび》明子を失ひつつあるが如き、異様なる苦痛を免るる事能はず。
「三月×日、子爵と明子との結婚式は、今年年末を期して、挙行せらるべしと云ふ。予はその一日も速《すみやか》ならん事を祈る。現状に於ては、予は永久にこの止み難き苦痛を脱離する能はざる可し。
「六月十二日、予は独り新富座に赴《おもむ》けり。去年今月今日、予が手に仆《たふ》れたる犠牲を思へば、予は観劇中も自《おのづか》ら会心の微笑を禁ぜざりき。されど同座より帰途、予がふと予の殺人の動機に想到するや、予は殆《ほとんど》帰趣《きしゆ》を失ひたるかの感に打たれたり。嗚呼《ああ》、予は誰の為に満村恭平を殺せしか。本多子爵の為か、明子の為か、抑《そ》も亦予自身の為か。こは予も亦答ふる能はざるを如何《いかん》。
「七月×日、予は子爵と明子と共に、今夕馬車を駆つて、隅田川の流燈会《りうとうゑ》を見物せり。馬車の窓より洩るる燈光に、明子の明眸《めいぼう》の更に美しかりしは、殆《ほとんど》予をして傍《かたはら》に子爵あるを忘れしめぬ。されどそは予が語らんとする所にあらず。予は馬車中子爵の胃痛を訴ふるや、手にポケツトを捜《さぐ》りて、丸薬の函《はこ》を得たり。而してその「かの丸薬」なるに一驚したり。予は何が故に今宵この丸薬を携へたるか。偶然か、予は切にその偶然ならん事を庶幾《こひねが》ふ。されどそは必しも偶然にはあらざりしものの如し。
「八月×日、予は子爵と明子と共に、予が家に晩餐を共にしたり。しかも予は終始、予がポケツトの底なるかの丸薬を忘るる事能はず。予の心は、殆予自身にとりても、不可解なる怪物を蔵するに似たり。
「十一月×日、子爵は遂に明子と結婚式を挙げたり。予は予自身に対して、名状し難き憤怒《ふんぬ》を感ぜざるを得ず。その憤怒たるや、恰《あたか》も一度|遁走《とんそう》せし兵士が、自己の怯懦《けふだ》に対して感ずる羞恥《しうち》の情に似たるが如し。
「十二月×日、予は子爵の請《こひ》に応じて、之をその病床に見たり、明子亦傍にありて、夜来発熱甚しと云ふ。予は診察の後、その感冒に過ぎざるを云ひて、直《ただち》に家に帰り、子爵の為に自ら調剤しぬ。その間約二時間、「かの丸薬」の函は終始予に恐る可き誘惑を持続したり。
「十二月×日、予は昨夜子爵を殺害せる悪夢に脅《おびやか》されたり。終日胸中の不快を排し難し。
「二月×日、嗚呼予は今にして始めて知る、予が子爵を殺害せざらんが為には、予自身を殺害せざる可らざるを。されど明子は如何《いかん》。」
子爵閣下、並に夫人、こは予が日記の大略なり。大略なりと雖《いへど》も、予が連日連夜の苦悶は、卿等必ずや善く了解せん。予は本多子爵を殺さざらんが為には、予自身を殺さざる可らず。されど予にして若し予自身を救はんが為に、本多子爵を殺さんか、予は予が満村恭平を屠《ほふ》りし理由を如何の地にか求む可けん。若し又彼を毒殺したる理由にして、予の自覚せざる利己主義に伏在したるものと做《な》さんか、予の人格、予の良心、予の道徳、予の主張は、すべて地を払つて消滅す可し。是|素《もと》より予の善く忍び得る所にあらず。予は寧《むしろ》、予自身を殺すの、遙に予が精神的破産に勝《まさ》れるを信ずるものなり。故に予は予が人格を樹立せんが為に、今宵「かの丸薬」の函によりて、嘗《かつ》て予が手に僵《たふ》れたる犠牲と、同一運命を担はんとす。
本多子爵閣下、並に夫人、予は如上《じよじやう》の理由の下に、卿等がこの遺書を手にするの時、既に死体となりて、予が寝台に横はらん。唯、死に際して、縷々《るる》予が呪ふ可き半生の秘密を告白したるは
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