開化の殺人
芥川龍之介
−−
【テキスト中に現れる記号について】
《》:ルビ
(例)下《しも》に
|:ルビの付く文字列の始まりを特定する記号
(例)最近|予《よ》が
[#]:入力者注 主に外字の説明や、傍点の位置の指定
(数字は、JIS X 0213の面区点番号、または底本のページと行数)
(例)梳※[#「木+龍」、第4水準2−15−78]《そろう》して
−−
下《しも》に掲げるのは、最近|予《よ》が本多子爵《ほんだししやく》(仮名)から借覧する事を得た、故ドクトル・北畠義一郎《きたばたけぎいちらう》(仮名)の遺書である。北畠ドクトルは、よし実名を明《あきらか》にした所で、もう今は知つてゐる人もあるまい。予自身も、本多子爵に親炙《しんしや》して、明治初期の逸事瑣談《いつじさだん》を聞かせて貰ふやうになつてから、初めてこのドクトルの名を耳にする機会を得た。彼の人物性行は、下の遺書によつても幾分の説明を得るに相違ないが、猶《なほ》二三、予が仄聞《そくぶん》した事実をつけ加へて置けば、ドクトルは当時内科の専門医として有名だつたと共に、演劇改良に関しても或急進的意見を持つてゐた、一種の劇通だつたと云ふ。現に後者に関しては、ドクトル自身の手になつた戯曲さへあつて、それはヴオルテエルの Candide の一部を、徳川時代の出来事として脚色した、二幕物の喜劇だつたさうである。
北庭筑波《きたにはつくば》が撮影した写真を見ると、北畠ドクトルは英吉利《イギリス》風の頬髯を蓄へた、容貌|魁偉《くわいゐ》な紳士である。本多子爵によれば、体格も西洋人を凌《しの》ぐばかりで、少年時代から何をするのでも、精力抜群を以て知られてゐたと云ふ。さう云へば遺書の文字さへ、鄭板橋《ていはんけう》風の奔放な字で、その淋漓《りんり》たる墨痕《ぼくこん》の中にも、彼の風貌が看取《かんしゆ》されない事もない。
勿論予はこの遺書を公《おほやけ》にするに当つて、幾多の改竄《かいざん》を施した。譬《たと》へば当時まだ授爵の制がなかつたにも関らず、後年の称に従つて本多子爵及夫人等の名を用ひた如きものである。唯、その文章の調子に至つては、殆《ほとんど》原文の調子をそつくりその儘《まま》、ひき写したと云つても差支へない。
―――――――――――――――――
本多子爵閣下、並に夫人、
次へ
全11ページ中1ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
芥川 竜之介 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング