予は予が最期《さいご》に際し、既往三年来、常に予が胸底に蟠《わだかま》れる、呪ふ可き秘密を告白し、以て卿等《けいら》の前に予が醜悪なる心事を暴露せんとす。卿等にして若しこの遺書を読むの後、猶《なほ》卿等の故人たる予の記憶に対し、一片|憐憫《れんびん》の情を動す事ありとせんか、そは素《もと》より予にとりて、望外の大幸なり。されど又予を目して、万死の狂徒と做《な》し、当《まさ》に屍《しかばね》に鞭打つて後|已《や》む可しとするも、予に於ては毫《がう》も遺憾とする所なし。唯、予が告白せんとする事実の、余りに意想外なるの故を以て、妄《みだり》に予を誣《し》ふるに、神経病患者の名を藉《か》る事|勿《なか》れ。予は最近数ヶ月に亘《わた》りて、不眠症の為に苦しみつつありと雖《いへど》も、予が意識は明白にして、且《かつ》極めて鋭敏なり。若し卿等にして、予が二十年来の相識《さうしき》たるを想起せんか。(予は敢《あへ》て友人とは称せざる可し)請《こ》ふ、予が精神的健康を疑ふ事勿れ。然らずんば、予が一生の汚辱を披瀝《ひれき》せんとする此遺書の如きも、結局無用の故紙《こし》たると何の選ぶ所か是《これ》あらん。
 閣下、並に夫人、予は過去に於て殺人罪を犯したると共に、将来に於ても亦同一罪悪を犯さんとしたる卑《いやし》む可き危険人物なり。しかもその犯罪が卿等に最も親近なる人物に対して、企画せられたるのみならず、又企画せられんとしたりと云ふに至りては、卿等にとりて正に意外中の意外たる可し。予は是《ここ》に於て、予が警告を再《ふたたび》するの、必要なる所以《ゆゑん》を感ぜざる能《あた》はず。予は全然|正気《しやうき》にして、予が告白は徹頭徹尾事実なり。卿等|幸《さいはひ》にそを信ぜよ。而《しか》して予が生涯の唯一の記念たる、この数枚の遺書をして、空しく狂人の囈語《げいご》たらしむる事勿れ。
 予はこれ以上予の健全を喋々《てふてふ》すべき余裕なし。予が生存すべき僅少なる時間は、直下《ぢきげ》に予を駆りて、予が殺人の動機と実行とを叙し、更に進んで予が殺人後の奇怪なる心境に言及せしめずんば、已まざらんとす。されど、嗚呼《ああ》されど、予は硯《けん》に呵《か》し紙《し》に臨んで、猶《なほ》惶々《くわうくわう》として自ら安からざるものあるを覚ゆ。惟《おも》ふに予が過去を点検し記載するは、予にとりて再《ふたた
前へ 次へ
全11ページ中2ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
芥川 竜之介 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング