予が愛の新《あらた》なる転向を得しは、所謂《いはゆる》「あきらめ」の心理を以て、説明す可きものなりや否や、予は之を詳《つまびらか》にする勇気と余裕とに乏しけれど、予がこの肉親的愛情によりて、始めて予が心の創痍《さうい》を医し得たるの一事は疑ふ可《べか》らず。是を以て帰朝以来、明子夫妻の消息を耳にするを蛇蝎《だかつ》の如く恐れたる予は、今や予がこの肉親的愛情に依頼し、進んで彼等に接近せん事を希望したり。こは予にして若し彼等に幸福なる夫妻を見出さんか、予の慰安の益《ますます》大にして、念頭|些《いささか》の苦悶なきに至る可しと、早計にも信じたるが故のみ。
 予はこの信念に動かされし結果、遂に明治十一年八月三日両国橋畔の大煙火に際し、知人の紹介を機会として、折から校書《かうしよ》十数輩と共に柳橋|万八《まんぱち》の水楼に在りし、明子の夫満村恭平と、始めて一夕《いつせき》の歓《くわん》を倶《とも》にしたり。歓《くわん》か、歓か、予はその苦と云ふの、遙に勝《まさ》れる所以《ゆゑん》を思はざる能はず。予は日記に書して曰《いはく》、「予は明子にして、かの満村某の如き、濫淫の賤貨に妻たるを思へば、殆|一肚皮《いつとひ》の憤怨|何《いづれ》の処に向つてか吐かんとするを知らず。神は予に明子を見る事、妹の如くなる可きを教へ給へり。然り而して予が妹を、斯《かか》る禽獣の手に委《ゐ》せしめ給ひしは、何ぞや。予は最早、この残酷にして奸譎《かんけつ》なる神の悪戯に堪ふる能はず。誰か善くその妻と妹とを強人《がうじん》の為に凌辱《りようじよく》せられ、しかも猶天を仰いで神の御名《みな》を称《とな》ふ可きものあらむ。予は今後断じて神に依らず、予自身の手を以て、予が妹明子をこの色鬼《しきき》の手より救助す可し。」
 予はこの遺書を認《したた》むるに臨み、再《ふたたび》当時の呪《のろ》ふ可き光景の、眼前に彷彿《はうふつ》するを禁ずる能はず。かの蒼然《さうぜん》たる水靄《すゐあい》と、かの万点の紅燈と、而してかの隊々《たいたい》相|銜《ふく》んで、尽くる所を知らざる画舫《ぐわぼう》の列と――嗚呼《ああ》、予は終生その夜、その半空《はんくう》に仰ぎたる煙火の明滅を記憶すると共に、右に大妓《たいぎ》を擁し、左に雛妓《すうぎ》を従へ、猥褻《わいせつ》聞くに堪へざるの俚歌を高吟しつつ、傲然《がうぜん》として涼棚《
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