丸薬」なるに一驚したり。予は何が故に今宵この丸薬を携へたるか。偶然か、予は切にその偶然ならん事を庶幾《こひねが》ふ。されどそは必しも偶然にはあらざりしものの如し。
「八月×日、予は子爵と明子と共に、予が家に晩餐を共にしたり。しかも予は終始、予がポケツトの底なるかの丸薬を忘るる事能はず。予の心は、殆予自身にとりても、不可解なる怪物を蔵するに似たり。
「十一月×日、子爵は遂に明子と結婚式を挙げたり。予は予自身に対して、名状し難き憤怒《ふんぬ》を感ぜざるを得ず。その憤怒たるや、恰《あたか》も一度|遁走《とんそう》せし兵士が、自己の怯懦《けふだ》に対して感ずる羞恥《しうち》の情に似たるが如し。
「十二月×日、予は子爵の請《こひ》に応じて、之をその病床に見たり、明子亦傍にありて、夜来発熱甚しと云ふ。予は診察の後、その感冒に過ぎざるを云ひて、直《ただち》に家に帰り、子爵の為に自ら調剤しぬ。その間約二時間、「かの丸薬」の函は終始予に恐る可き誘惑を持続したり。
「十二月×日、予は昨夜子爵を殺害せる悪夢に脅《おびやか》されたり。終日胸中の不快を排し難し。
「二月×日、嗚呼予は今にして始めて知る、予が子爵を殺害せざらんが為には、予自身を殺害せざる可らざるを。されど明子は如何《いかん》。」
子爵閣下、並に夫人、こは予が日記の大略なり。大略なりと雖《いへど》も、予が連日連夜の苦悶は、卿等必ずや善く了解せん。予は本多子爵を殺さざらんが為には、予自身を殺さざる可らず。されど予にして若し予自身を救はんが為に、本多子爵を殺さんか、予は予が満村恭平を屠《ほふ》りし理由を如何の地にか求む可けん。若し又彼を毒殺したる理由にして、予の自覚せざる利己主義に伏在したるものと做《な》さんか、予の人格、予の良心、予の道徳、予の主張は、すべて地を払つて消滅す可し。是|素《もと》より予の善く忍び得る所にあらず。予は寧《むしろ》、予自身を殺すの、遙に予が精神的破産に勝《まさ》れるを信ずるものなり。故に予は予が人格を樹立せんが為に、今宵「かの丸薬」の函によりて、嘗《かつ》て予が手に僵《たふ》れたる犠牲と、同一運命を担はんとす。
本多子爵閣下、並に夫人、予は如上《じよじやう》の理由の下に、卿等がこの遺書を手にするの時、既に死体となりて、予が寝台に横はらん。唯、死に際して、縷々《るる》予が呪ふ可き半生の秘密を告白したるは
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