た。僕等は二人ともこの七月に大学の英文科を卒業していた。従って衣食の計《はかりごと》を立てることは僕等の目前に迫っていた。僕はだんだん八犬伝を忘れ、教師《きょうし》になることなどを考え出した。が、そのうちに眠ったと見え、いつかこう言う短い夢を見ていた。
――それは何《なん》でも夜更《よふ》けらしかった。僕はとにかく雨戸《あまど》をしめた座敷にたった一人横になっていた。すると誰か戸を叩《たた》いて「もし、もし」と僕に声をかけた。僕はその雨戸の向うに池のあることを承知していた。しかし僕に声をかけたのは誰だか少しもわからなかった。
「もし、もし、お願いがあるのですが、……」
雨戸の外の声はこう言った。僕はその言葉を聞いた時、「ははあ、Kのやつだな」と思った。Kと言うのは僕等よりも一年|後《ご》の哲学科にいた、箸《はし》にも棒にもかからぬ男だった。僕は横になったまま、かなり大声《おおごえ》に返事をした。
「哀《あわ》れっぽい声を出したって駄目《だめ》だよ。また君、金《かね》のことだろう?」
「いいえ、金のことじゃありません。ただわたしの友だちに会わせたい女があるんですが、……」
その声は
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