るかな。」
 Mは長ながと寝ころんだまま、糊《のり》の強い宿の湯帷子《ゆかた》の袖に近眼鏡《きんがんきょう》の玉を拭っていた。仕事と言うのは僕等の雑誌へ毎月何か書かなければならぬ、その創作のことを指《さ》すのだった。
 Mの次の間《ま》へ引きとった後《のち》、僕は座蒲団《ざぶとん》を枕にしながら、里見八犬伝《さとみはっけんでん》を読みはじめた。きのう僕の読みかけたのは信乃《しの》、現八《げんぱち》、小文吾《こぶんご》などの荘助《そうすけ》を救いに出かけるところだった。「その時|蜑崎照文《あまざきてるぶみ》は懐《ふとこ》ろより用意の沙金《さきん》を五包《いつつつ》みとり出《いだ》しつ。先ず三包《みつつ》みを扇にのせたるそがままに、……三犬士《さんけんし》、この金《かね》は三十|両《りょう》をひと包みとせり。もっとも些少《さしょう》の東西《もの》なれども、こたびの路用を資《たす》くるのみ。わが私《わたくし》の餞別《はなむけ》ならず、里見殿《さとみどの》の賜《たま》ものなるに、辞《いろ》わで納め給えと言う。」――僕はそこを読みながら、おととい届《とど》いた原稿料の一枚四十銭だったのを思い出し
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