「水母かも知れない。」
しかし彼等は前後したまま、さらに沖へ出て行くのだった。
僕等は二人の少女の姿が海水帽ばかりになったのを見、やっと砂の上の腰を起した。それから余り話もせず、(腹も減っていたのに違いなかった。)宿の方へぶらぶら帰って行った。
三
……日の暮も秋のように涼しかった。僕等は晩飯をすませた後《のち》、この町に帰省中のHと言う友だちやNさんと言う宿の若主人ともう一度浜へ出かけて行った。それは何も四人とも一しょに散歩をするために出かけたのではなかった。HはS村の伯父《おじ》を尋ねに、Nさんはまた同じ村の籠屋《かごや》へ庭鳥《にわとり》を伏せる籠を註文《ちゅうもん》しにそれぞれ足を運んでいたのだった。
浜伝《はまづた》いにS村へ出る途《みち》は高い砂山の裾《すそ》をまわり、ちょうど海水浴区域とは反対の方角に向っていた。海は勿論砂山に隠れ、浪の音もかすかにしか聞えなかった。しかし疎《まば》らに生《は》え伸びた草は何か黒い穂《ほ》に出ながら、絶えず潮風《しおかぜ》にそよいでいた。
「この辺《へん》に生えている草は弘法麦《こうぼうむぎ》じゃないね。――Nさん、これば何と言うの?」
僕は足もとの草をむしり、甚平《じんべい》一つになったNさんに渡した。
「さあ、蓼《たで》じゃなし、――何と言いますかね。Hさんは知っているでしょう。わたしなぞとは違って土地っ子ですから。」
僕等もNさんの東京から聟《むこ》に来たことは耳にしていた。のみならず家附《いえつき》の細君は去年の夏とかに男を拵《こしら》えて家出したことも耳にしていた。
「魚《さかな》のこともHさんはわたしよりはずっと詳《くわ》しいんです。」
「へええ、Hはそんなに学者かね。僕はまた知っているのは剣術ばかりかと思っていた。」
HはMにこう言われても、弓の折れの杖を引きずったまま、ただにやにや笑っていた。
「Mさん、あなたも何かやるでしょう?」
「僕? 僕はまあ泳ぎだけですね。」
Nさんはバットに火をつけた後《のち》、去年水泳中に虎魚《おこぜ》に刺《さ》された東京の株屋の話をした。その株屋は誰が何と言っても、いや、虎魚《おこぜ》などの刺す訣《わけ》はない、確かにあれは海蛇《うみへび》だと強情を張っていたとか言うことだった。
「海蛇なんてほんとうにいるの?」
しかしその問に答えた
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