どうも蘇東坡《そとうば》の四時《しじ》の詞《し》に傚《なら》ったものらしい。書は確かに趙松雪《ちょうしょうせつ》を学んだと思う筆法である。その詩も一々覚えているが、今は披露《ひろう》する必要もあるまい。それより君に聞いて貰いたいのは、そう云う月明りの部屋の中に、たった一人坐っていた、玉人《ぎょくじん》のような女の事だ。僕はその女を見た時ほど、女の美しさを感じた事はない。」
「有美《ゆうび》閨房秀《けいぼうのしゅう》 天人《てんじん》謫降来《たくこうしきたる》かね。」
趙生《ちょうせい》は微笑しながら、さっき王生《おうせい》が見せた会真詩《かいしんし》の冒頭の二句を口ずさんだ。
「まあ、そんなものだ。」
話したいと云った癖に、王生はそう答えたぎり、いつまでも口を噤《つぐ》んでいる。趙生はとうとう待兼ねたように、そっと王生の膝を突いた。
「それからどうしたのだ?」
「それから一しょに話をした。」
「話をしてから?」
「女が玉簫《ぎょくしょう》を吹いて聞かせた。曲《きょく》は落梅風《らくばいふう》だったと思うが、――」
「それぎりかい?」
「それがすむとまた話をした。」
「それから?」
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