《ちょうこう》に臨んだ古金陵《こきんりょう》の地に、王生《おうせい》と云う青年があった。生れつき才力が豊な上に、容貌《ようぼう》もまた美しい。何でも奇俊《きしゅん》王家郎《おうかろう》と称されたと云うから、その風采《ふうさい》想うべしである。しかも年は二十《はたち》になったが、妻はまだ娶《めと》っていない。家は門地《もんち》も正しいし、親譲りの資産も相当にある。詩酒の風流を恣《ほしいまま》にするには、こんな都合《つごう》の好《い》い身分はない。
 実際また王生は、仲の好《い》い友人の趙生《ちょうせい》と一しょに、自由な生活を送っていた。戯《ぎ》を聴《き》きに行く事もある。博《はく》を打って暮らす事もある。あるいはまた一晩中、秦淮《しんわい》あたりの酒家《しゅか》の卓子《たくし》に、酒を飲み明かすことなぞもある。そう云う時には落着いた王生が、花磁盞《かじさん》を前にうっとりと、どこかの歌の声に聞き入っていると、陽気な趙生は酢蟹《すがに》を肴に、金華酒《きんかしゅ》の満《まん》を引きながら、盛んに妓品《ぎひん》なぞを論じ立てるのである。
 その王生がどう云う訳か、去年の秋以来忘れたように、
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