り数えられたのも覚えている。池の左右に植わっているのは、二株《ふたかぶ》とも垂糸檜《すいしかい》に違いない。それからまた墻《しょう》に寄せては、翠柏《すいはく》の屏《へい》が結んである。その下にあるのは天工のように、石を積んだ築山《つきやま》である。築山の草はことごとく金糸線綉※[#「土へん+敦」、第3水準1−15−63]《きんしせんしゅうとん》の属《ぞく》ばかりだから、この頃のうそ寒《さむ》にも凋《しお》れていない。窓の間には彫花《ちょうか》の籠《かご》に、緑色の鸚鵡《おうむ》が飼ってある。その鸚鵡が僕を見ると、「今晩は」と云ったのも忘れられない。軒の下には宙に吊《つ》った、小さな木鶴《もっかく》の一双《ひとつが》いが、煙の立つ線香を啣《くわ》えている。窓の中を覗いて見ると、几《つくえ》の上の古銅瓶《こどうへい》に、孔雀《くじゃく》の尾が何本も挿《さ》してある。その側にある筆硯類《ひっけんるい》は、いずれも清楚《せいそ》と云うほかはない。と思うとまた人を待つように、碧玉の簫《しょう》などもかかっている。壁には四幅《しふく》の金花箋《きんかせん》を貼って、その上に詩が題してある。詩体はどうも蘇東坡《そとうば》の四時《しじ》の詞《し》に傚《なら》ったものらしい。書は確かに趙松雪《ちょうしょうせつ》を学んだと思う筆法である。その詩も一々覚えているが、今は披露《ひろう》する必要もあるまい。それより君に聞いて貰いたいのは、そう云う月明りの部屋の中に、たった一人坐っていた、玉人《ぎょくじん》のような女の事だ。僕はその女を見た時ほど、女の美しさを感じた事はない。」
「有美《ゆうび》閨房秀《けいぼうのしゅう》 天人《てんじん》謫降来《たくこうしきたる》かね。」
 趙生《ちょうせい》は微笑しながら、さっき王生《おうせい》が見せた会真詩《かいしんし》の冒頭の二句を口ずさんだ。
「まあ、そんなものだ。」
 話したいと云った癖に、王生はそう答えたぎり、いつまでも口を噤《つぐ》んでいる。趙生はとうとう待兼ねたように、そっと王生の膝を突いた。
「それからどうしたのだ?」
「それから一しょに話をした。」
「話をしてから?」
「女が玉簫《ぎょくしょう》を吹いて聞かせた。曲《きょく》は落梅風《らくばいふう》だったと思うが、――」
「それぎりかい?」
「それがすむとまた話をした。」
「それから?」

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