ある。
「不思議な事もあればあるものだ。何しろ先方でもいつのまにか、水晶の双魚の扇墜が、枕もとにあったと云うのだから、――」
 趙生はこう遇う人毎《ひとごと》に、王生の話を吹聴《ふいちょう》した。最後にその話が伝わったのは、銭塘《せんとう》の文人|瞿祐《くゆう》である。瞿祐はすぐにこの話から、美しい渭塘奇遇記《いとうきぐうき》を書いた。……

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小説家 どうです、こんな調子では?
編輯者 ロマンティクな所は好《い》いようです。とにかくその小品《しょうひん》を貰う事にしましょう。
小説家 待って下さい。まだ後《あと》が少し残っているのです。ええと、美しい渭塘奇遇記《いとうきぐうき》を書いた。――ここまでですね。

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 しかし銭塘《せんとう》の瞿祐《くゆう》は勿論、趙生《ちょうせい》なぞの友人たちも、王生《おうせい》夫婦を載《の》せた舟が、渭塘《いとう》の酒家《しゅか》を離れた時、彼が少女と交換した、下《しも》のような会話を知らなかった。
「やっと芝居が無事にすんだね。おれはお前の阿父《おとう》さんに、毎晩お前の夢を見ると云う、小説じみた嘘をつきながら、何度|冷々《ひやひや》したかわからないぜ。」
「私《わたし》もそれは心配でしたわ。あなたは金陵《きんりょう》の御友だちにも、やっぱり嘘をおつきなすったの。」
「ああ、やっぱり嘘をついたよ。始めは何とも云わなかったのだが、ふと友達にこの指環《ゆびわ》を見つけられたものだから、やむを得ず阿父さんに話す筈の、夢の話をしてしまったのさ。」
「ではほんとうの事を知っているのは、一人もほかにはない訳ですわね。去年の秋あなたが私の部屋へ、忍んでいらしった事を知っているのは、――」
「私。私。」
 二人は声のした方へ、同時に驚いた眼をやった。そうしてすぐに笑い出した。帆檣《ほばしら》に吊った彫花《ちょうか》の籠には、緑色の鸚鵡《おうむ》が賢そうに、王生と少女とを見下している。…………

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編輯者 それは蛇足《だそく》です。折角の読者の感興をぶち壊すようなものじゃありませんか? この小品が雑誌に載るのだったら、是非とも末段だけは削《けず》って貰います。

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