、いろいろな姿を浮べたりした。が、彼女は同情は勿論、憎悪《ぞうお》も嫉妬《しっと》も感じなかった。ただその想像に伴うのは、多少の好奇心ばかりだった。どう云う夫婦喧嘩をするのかしら。――お蓮は戸の外の藪や林が、霙にざわめくのを気にしながら、真面目にそんな事も考えて見た。
それでも二時を聞いてしまうと、ようやく眠気《ねむけ》がきざして来た。――お蓮はいつか大勢《おおぜい》の旅客と、薄暗い船室に乗り合っている。円い窓から外を見ると、黒い波の重《かさ》なった向うに、月だか太陽だか判然しない、妙に赤光《あかびかり》のする球《たま》があった。乗合いの連中はどうした訳か、皆影の中に坐ったまま、一人も口を開くものがない。お蓮はだんだんこの沈黙が、恐しいような気がし出した。その内に誰かが彼女の後《うしろ》へ、歩み寄ったらしいけはいがする。彼女は思わず振り向いた。すると後には別れた男が、悲しそうな微笑を浮べながら、じっと彼女を見下している。………
「金《きん》さん。」
お蓮は彼女自身の声に、明《あ》け方の眠から覚まされた。牧野はやはり彼女の隣に、静かな呼吸を続けていたが、こちらへ背中を向けた彼が、実際
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