うけん》さ。」
お蓮はくすくす笑い出した。
「笑い事じゃないぜ。ここにいる事が知れた日にゃ、明日《あした》にも押しかけて来ないものじゃない。」
牧野の言葉には思いのほか、真面目《まじめ》そうな調子も交《まじ》っていた。
「そうしたら、その時の事ですわ。」
「へええ、ひどくまた度胸《どきょう》が好《い》いな。」
「度胸が好い訳じゃないんです。私《わたし》の国の人間は、――」
お蓮は考え深そうに、長火鉢の炭火《すみび》へ眼を落した。
「私の国の人間は、みんな諦《あきら》めが好いんです。」
「じゃお前は焼かないと云う訳か?」
牧野の眼にはちょいとの間《あいだ》、狡猾《こうかつ》そうな表情が浮んだ。
「おれの国の人間は、みんな焼くよ。就中《なかんずく》おれなんぞは、――」
そこへ婆さんが勝手から、あつらえ物の蒲焼《かばやき》を運んで来た。
その晩牧野は久しぶりに、妾宅へ泊って行く事になった。
雨は彼等が床《とこ》へはいってから、霙《みぞれ》の音に変り出した。お蓮は牧野が寝入った後《のち》、何故《なぜ》かいつまでも眠られなかった。彼女の冴《さ》えた眼の底には、見た事のない牧野の妻が
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