の金物《かなもの》を合せた。
「それでも安心して下さい。身なんぞ投げはしませんから、――」
「莫迦《ばか》な事を云うな。」
 牧野はばたりと畳の上へ、風俗画報を抛《ほう》り出すと、忌々《いまいま》しそうに舌打ちをした。……
「かれこれその晩の七時頃だそうだ。――」
 今までの事情を話した後《のち》、私《わたくし》の友人のKと云う医者は、徐《おもむろ》にこう言葉を続けた。
「お蓮は牧野が止めるのも聞かず、たった一人|家《うち》を出て行った。何しろ婆さんなぞが心配して、いくら一しょに行きたいと云っても、当人がまるで子供のように、一人にしなければ死んでしまうと、駄々《だだ》をこねるんだから仕方がない。が、勿論お蓮一人、出してやれたもんじゃないから、そこは牧野が見え隠れに、ついて行く事にしたんだそうだ。
「ところが外へ出て見ると、その晩はちょうど弥勒寺橋の近くに、薬師《やくし》の縁日《えんにち》が立っている。だから二《ふた》つ目《め》の往来《おうらい》は、いくら寒い時分でも、押し合わないばかりの人通りだ。これはお蓮の跡をつけるには、都合《つごう》が好かったのに違いない。牧野がすぐ後《うしろ》を
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