歩きながら、とうとう相手に気づかれなかったのも、畢竟《ひっきょう》は縁日の御蔭なんだ。
「往来にはずっと両側に、縁日商人《えんにちあきんど》が並んでいる。そのカンテラやランプの明りに、飴屋《あめや》の渦巻の看板だの豆屋の赤い日傘だのが、右にも左にもちらつくんだ。が、お蓮はそんな物には、全然|側目《わきめ》もふらないらしい。ただ心もち俯向《うつむ》いたなり、さっさと人ごみを縫って行くんだ。何でも遅れずに歩くのは、牧野にも骨が折れたそうだから、余程《よっぽど》先を急いでいたんだろう。
「その内に弥勒寺橋《みろくじばし》の袂《たもと》へ来ると、お蓮はやっと足を止めて、茫然とあたりを見廻したそうだ。あすこには河岸《かし》へ曲った所に、植木屋ばかりが続いている。どうせ縁日物《えんにちもの》だから、大した植木がある訳じゃないが、ともかくも松とか檜《ひのき》とかが、ここだけは人足《ひとあし》の疎《まば》らな通りに、水々しい枝葉《えだは》を茂らしているんだ。
「こんな所へ来たは好《い》いが、一体どうする気なんだろう?――牧野はそう疑いながら、しばらくは橋づめの電柱の蔭に、妾《めかけ》の容子《ようす》を
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