。田宮はその猪口を貰う前に、襯衣《シャツ》を覗かせた懐《ふところ》から、赤い缶詰《かんづめ》を一つ出した。そうしてお蓮の酌を受けながら、
「これは御土産《おみやげ》です。お蓮夫人。これはあなたへ御土産です。」と云った。
「何だい、これは?」
牧野はお蓮が礼を云う間《あいだ》に、その缶詰を取り上げて見た。
「貼紙《ペーパー》を見給え。膃肭獣《おっとせい》だよ。膃肭獣の缶詰さ。――あなたは気のふさぐのが病だって云うから、これを一つ献上します。産前、産後、婦人病|一切《いっさい》によろしい。――これは僕の友だちに聞いた能書《のうが》きだがね、そいつがやり始めた缶詰だよ。」
田宮は唇を嘗《な》めまわしては、彼等二人を見比べていた。
「食えるかい、お前、膃肭獣《おっとせい》なんぞが?」
お蓮は牧野にこう云われても、無理にちょいと口元へ、微笑を見せたばかりだった。が、田宮は手を振りながら、すぐにその答えを引き受けた。
「大丈夫。大丈夫だとも。――ねえ、お蓮さん。この膃肭獣《おっとせい》と云うやつは、牡《おす》が一匹いる所には、牝《めす》が百匹もくっついている。まあ人間にすると、牧野さんと云う
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