う声に驚かされたお蓮《れん》は、やむを得ず気のない体を起して、薄暗い玄関へ出かけて行った。すると北向きの格子戸《こうしど》が、軒さきの御飾りを透《すか》せている、――そこにひどく顔色の悪い、眼鏡《めがね》をかけた女が一人、余り新しくない肩掛をしたまま、俯向《うつむ》き勝に佇《たたず》んでいた。
「どなた様でございますか?」
お蓮はそう尋ねながら、相手の正体《しょうたい》を直覚していた。そうしてこの根《ね》の抜けた丸髷《まるまげ》に、小紋《こもん》の羽織の袖《そで》を合せた、どこか影の薄い女の顔へ、じっと眼を注いでいた。
「私《わたくし》は――」
女はちょいとためらった後《のち》、やはり俯向き勝に話し続けた。
「私《わたくし》は牧野の家内でございます。滝《たき》と云うものでございます。」
今度はお蓮が口ごもった。
「さようでございますか。私《わたくし》は――」
「いえ、それはもう存じて居ります。牧野が始終御世話になりますそうで、私からも御礼を申し上げます。」
女の言葉は穏やかだった。皮肉らしい調子なぞは、不思議なほど罩《こも》っていなかった。それだけまたお蓮は何と云って好《よ》い
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