へも聞かせるように、こうお蓮へ話しかけた。が、彼女は不相変《あいかわらず》、熱心に幕へ眼をやったまま、かすかに頷《うなず》いたばかりだった。それは勿論どんな画でも、幻燈が珍しい彼女にとっては、興味があったのに違いなかった。しかしそのほかにも画面の景色は、――雪の積った城楼《じょうろう》の屋根だの、枯柳《かれやなぎ》に繋《つな》いだ兎馬《うさぎうま》だの、辮髪《べんぱつ》を垂れた支那兵だのは、特に彼女を動かすべき理由も持っていたのだった。
寄席がはねたのは十時だった。二人は肩を並べながら、しもうた[#「しもうた」に傍点]家《や》ばかり続いている、人気《ひとけ》のない町を歩いて来た。町の上には半輪の月が、霜の下りた家々の屋根へ、寒い光を流していた。牧野はその光の中へ、時々|巻煙草《まきたばこ》の煙を吹いては、さっきの剣舞でも頭にあるのか、
「鞭声《べんせい》粛々《しゅくしゅく》夜《よる》河《かわ》を渡る」なぞと、古臭い詩の句を微吟《びぎん》したりした。
所が横町《よこちょう》を一つ曲ると、突然お蓮は慴《おび》えたように、牧野の外套《がいとう》の袖を引いた。
「びっくりさせるぜ。何だ?」
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