《ひとえ》隔てた向うに、何度も悲しそうな声を立てた。のみならずしまいにはその襖《ふすま》へ、がりがり前足の爪をかけた。牧野は深夜のランプの光に、妙な苦笑《くしょう》を浮べながら、とうとうお蓮へ声をかけた。
「おい、そこを開けてやれよ。」
が、彼女が襖を開けると、犬は存外ゆっくりと、二人の枕もとへはいって来た。そうして白い影のように、そこへ腹を落着けたなり、じっと彼等を眺め出した。
お蓮は何だかその眼つきが、人のような気がしてならなかった。
七
それから二三日経ったある夜、お蓮《れん》は本宅を抜けて来た牧野《まきの》と、近所の寄席《よせ》へ出かけて行った。
手品《てじな》、剣舞《けんぶ》、幻燈《げんとう》、大神楽《だいかぐら》――そう云う物ばかりかかっていた寄席は、身動きも出来ないほど大入《おおい》りだった。二人はしばらく待たされた後《のち》、やっと高座《こうざ》には遠い所へ、窮屈《きゅうくつ》な腰を下《おろ》す事が出来た。彼等がそこへ坐った時、あたりの客は云い合わせたように、丸髷《まるまげ》に結《ゆ》ったお蓮の姿へ、物珍しそうな視線を送った。彼女にはそれが晴
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