、向うへ行くらしいと云う事である。
「莫迦《ばか》な、この路を歩く資格は、おればかりにある訳じゃあるまいし。」
 陳はこう心の中に、早くも疑惑を抱き出した彼自身を叱ろうとした。が、この路は彼の家の裏門の前へ出るほかには、どこへも通じていない筈である。して見れば、――と思う刹那《せつな》に陳の耳には、その裏門の戸の開く音が、折から流れて来た潮風と一しょに、かすかながらも伝わって来た。
「可笑《おか》しいぞ。あの裏門には今朝《けさ》見た時も、錠がかかっていた筈だが。」
 そう思うと共に陳彩《ちんさい》は、獲物を見つけた猟犬《りょうけん》のように、油断なくあたりへ気を配りながら、そっとその裏門の前へ歩み寄った。が、裏門の戸はしまっている。力一ぱい押して見ても、動きそうな気色《けしき》も見えないのは、いつの間《ま》にか元の通り、錠が下りてしまったらしい。陳はその戸に倚《よ》りかかりながら、膝を埋《うず》めた芒の中に、しばらくは茫然《ぼうぜん》と佇《たたず》んでいた。
「門が明くような音がしたのは、おれの耳の迷《まよい》だったかしら。」
 が、さっきの足音は、もうどこからも聞えて来ない。常春藤《
前へ 次へ
全26ページ中18ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
芥川 竜之介 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング