ために僕はまた河童の国へ帰りたいと思い出しました。そうです。「行《ゆ》きたい」のではありません。「帰りたい」と思い出したのです。河童の国は当時の僕には故郷のように感ぜられましたから。
僕はそっと家《うち》を脱け出し、中央線の汽車へ乗ろうとしました。そこをあいにく巡査につかまり、とうとう病院へ入れられたのです。僕はこの病院へはいった当座も河童の国のことを想《おも》いつづけました。医者のチャックはどうしているでしょう? 哲学者のマッグも相変わらず七色《なないろ》の色硝子《いろガラス》のランタアンの下に何か考えているかもしれません。ことに僕の親友だった嘴《くちばし》の腐った学生のラップは、――あるきょうのように曇った午後です。こんな追憶にふけっていた僕は思わず声をあげようとしました。それはいつの間《ま》にはいってきたか、バッグという漁夫《りょうし》の河童が一匹、僕の前にたたずみながら、何度も頭を下げていたからです。僕は心をとり直した後《のち》、――泣いたか笑ったかも覚えていません。が、とにかく久しぶりに河童の国の言葉を使うことに感動していたことはたしかです。
「おい、バッグ、どうして来た?
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