の弁解にもなっていたらしいのです。
「ついてはどうかこの方の御案内を願いたいと思うのですが。」
長老は大様《おおよう》に微笑しながら、まず僕に挨拶《あいさつ》をし、静かに正面《しょうめん》の祭壇を指さしました。
「御案内と申しても、何もお役に立つことはできません。我々信徒の礼拝《らいはい》するのは正面の祭壇にある『生命の樹《き》』です。『生命の樹』にはごらんのとおり、金と緑との果《み》がなっています。あの金の果を『善の果』と言い、あの緑の果を『悪の果』と言います。……」
僕はこういう説明のうちにもう退屈を感じ出しました。それはせっかくの長老の言葉も古い比喩《ひゆ》のように聞こえたからです。僕はもちろん熱心に聞いている容子《ようす》を装っていました。が、時々は大寺院の内部へそっと目をやるのを忘れずにいました。
コリント風の柱、ゴシック風の穹窿《きゅうりゅう》、アラビアじみた市松《いちまつ》模様の床《ゆか》、セセッションまがいの祈祷机《きとうづくえ》、――こういうものの作っている調和は妙に野蛮な美を具《そな》えていました。しかし僕の目をひいたのは何よりも両側の龕《がん》の中にある大理
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