と、『どうせわたしは虫取り菫よ』と当たり散らすじゃありませんか? おまけにまた僕のおふくろも大《だい》の妹|贔屓《びいき》ですから、やはり僕に食ってかかるのです。」
「虫取り菫が咲いたということはどうして妹さんには不快なのだね?」
「さあ、たぶん雄《おす》の河童をつかまえるという意味にでもとったのでしょう。そこへおふくろと仲悪い叔母《おば》も喧嘩《けんか》の仲間入りをしたのですから、いよいよ大騒動になってしまいました。しかも年中酔っ払っているおやじはこの喧嘩を聞きつけると、たれかれの差別なしに殴《なぐ》り出したのです。それだけでも始末のつかないところへ僕の弟はその間《あいだ》におふくろの財布《さいふ》を盗むが早いか、キネマか何かを見にいってしまいました。僕は……ほんとうに僕はもう、……」
 ラップは両手に顔を埋《うず》め、何も言わずに泣いてしまいました。僕の同情したのはもちろんです。同時にまた家族制度に対する詩人のトックの軽蔑を思い出したのももちろんです。僕はラップの肩をたたき、一生懸命《いっしょうけんめい》に慰めました。
「そんなことはどこでもありがちだよ。まあ勇気を出したまえ。」

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