へ帰りながら、のべつ幕なしに嘔吐《へど》を吐きました。夜目にも白《しら》じらと流れる嘔吐を。

        九

 しかし硝子《ガラス》会社の社長のゲエルは人なつこい河童《かっぱ》だったのに違いません。僕はたびたびゲエルといっしょにゲエルの属している倶楽部《クラブ》へ行き、愉快に一晩を暮らしました。これは一つにはその倶楽部はトックの属している超人倶楽部よりもはるかに居心《いごころ》のよかったためです。のみならずまたゲエルの話は哲学者のマッグの話のように深みを持っていなかったにせよ、僕には全然新しい世界を、――広い世界をのぞかせました。ゲエルは、いつも純金の匙《さじ》に珈琲《カッフェ》の茶碗《ちゃわん》をかきまわしながら、快活にいろいろの話をしたものです。
 なんでもある霧の深い晩、僕は冬薔薇《ふゆそうび》を盛った花瓶《かびん》を中にゲエルの話を聞いていました。それはたしか部屋《へや》全体はもちろん、椅子《いす》やテエブルも白い上に細い金の縁《ふち》をとったセセッション風の部屋だったように覚えています。ゲエルはふだんよりも得意そうに顔中に微笑をみなぎらせたまま、ちょうどそのころ天下を
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