心の善かつた為です。のみならず又ゲエルの話は哲学者のマツグの話のやうに深みを持つてゐなかつたにせよ、僕には全然新らしい世界を、――広い世界を覗かせました。ゲエルは、いつもの純金の匙に珈琲《カツフエ》の茶碗をかきまはしながら、快活にいろいろの話をしたものです。
 何でも或霧の深い晩、僕は冬薔薇を盛つた花瓶を中にゲエルの話を聞いてゐました。それは確か部屋全体は勿論、椅子やテエブルも白い上に細い金の縁をとつたセセツシヨン風の部屋だつたやうに覚えてゐます。ゲエルはふだんよりも得意さうに顔中に微笑を漲《みなぎ》らせたまま、丁度その頃天下を取つてゐた Quorax 党内閣のことなどを話しました。クオラツクスと云ふ言葉は唯意味のない間投詞ですから、「おや」とでも訳す外はありません。が、兎に角何よりも先に「河童全体の利益」と云ふことを標榜してゐた政党だつたのです。
「クオラツクス党を支配してゐるものは名高い政治家のロツペです。『正直は最良の外交である』とはビスマルクの言つた言葉でせう。しかしロツペは正直を内治の上にも及ぼしてゐるのです。……」
「けれどもロツペの演説は……」
「まあ、わたしの言ふことを
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