を自動車が何台も走つてゐるのです。
やがて僕を載せた担架は細い横町を曲つたと思ふと、或家の中へ舁ぎこまれました。それは後に知つた所によれば、あの鼻眼鏡をかけた河童の家、――チヤツクと云ふ医者の家だつたのです。チヤツクは僕を小綺麗なベツドの上へ寝かせました。それから何か透明な水薬を一杯飲ませました。僕はベツドの上に横たはたつたなり、チヤツクのするままになつてゐました。実際又僕の体は碌に身動きも出来ないほど、節々が痛んでゐたのですから。
チヤツクは一日に二三度は必ず僕を診察に来ました。又三日に一度位は僕の最初に見かけた河童、――バツグと云ふ漁師も尋ねて来ました。河童は我々人間が河童のことを知つてゐるよりも遥かに人間のことを知つてゐます。それは我々人間が河童を捕獲することよりもずつと河童が人間を捕獲することが多い為でせう。捕獲と云ふのは当らないまでも、我々人間は僕の前にも度々河童の国へ来てゐるのです。のみならず一生河童の国に住んでゐたものも多かつたのです。なぜと言つて御覧なさい。僕等は唯河童ではない、人間であると云ふ特権の為に働かずに食つてゐられるのです。現にバツグの話によれば、或若い道路工夫などはやはり偶然この国へ来た後、雌の河童を妻に娶《めと》り、死ぬまで住んでゐたと云ふことです。尤もその又雌の河童はこの国第一の美人だつた上、夫の道路工夫を誤魔化すのにも妙を極めてゐたと云ふことです。
僕は一週間ばかりたつた後、この国の法律の定める所により、「特別保護住民」としてチヤツクの隣に住むことになりました。僕の家は小さい割に如何にも瀟洒と出来上つてゐました。勿論この国の文明は我々人間の国の文明――少くとも日本の文明などと余り大差はありません。往来に面した客間の隅には小さいピアノが一台あり、それから又壁には額縁へ入れたエツテイングなども懸つてゐました。唯肝腎の家をはじめ、テエブルや椅子の寸法も河童の身長に合はせてありますから、子供の部屋に入れられたやうにそれだけは不便に思ひました。
僕はいつも日暮れがたになると、この部屋にチヤツクやバツグを迎へ、河童の言葉を習ひました。いや、彼等ばかりではありません。特別保護住民だつた僕に誰も皆好奇心を持つてゐましたから、毎日血圧を調べて貰ひに、わざわざチヤツクを呼び寄せるゲエルと云ふ硝子会社の社長などもやはりこの部屋へ顔を出したものです
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