。しかし最初の半月ほどの間に一番僕と親しくしたのはやはりあのバツグと云ふ漁夫だつたのです。
或生暖かい日の暮です。僕はこの部屋のテエブルを中に漁夫のバツグと向ひ合つてゐました。するとバツグはどう思つたか、急に黙つてしまつた上、大きい目を一層大きくしてぢつと僕を見つめました。僕は勿論妙に思ひましたから、「Quax, Bag, quo quel quan?」と言ひました。これは日本語に翻訳すれば、「おい、バツグ、どうしたんだ?」と云ふことです。が、バツグは返事をしません。のみならずいきなり立ち上ると、べろりと舌を出したなり、丁度蛙の刎《は》ねるやうに飛びかかる気色さへ示しました。僕は愈《いよ/\》無気味になり、そつと椅子から立ち上ると、一足飛びに戸口へ飛び出さうとしました。丁度そこへ顔を出したのは幸ひにも医者のチヤツクです。
「こら、バツグ、何をしてゐるのだ?」
チヤツクは鼻眼鏡をかけたまま、かう云ふバツグを睨みつけました。するとバツグは恐れ入つたと見え、何度も頭へ手をやりながら、かう言つてチヤツクにあやまるのです。
「どうもまことに相すみません。実はこの旦那の気味悪がるのが面白かつたものですから、つい調子に乗つて悪戯をしたのです。どうか旦那も堪忍して下さい。」
[#7字下げ]三[#「三」は中見出し]
僕はこの先を話す前にちよつと河童と云ふものを説明して置かなければなりません。河童は未だに実在するかどうかも疑問になつてゐる動物です。が、それは僕自身が彼等の間に住んでゐた以上、少しも疑ふ余地はない筈です。では又どう云ふ動物かと云へば、頭に短い毛のあるのは勿論、手足に水掻きのついてゐることも「水虎考略」などに出てゐるのと著しい違ひはありません。身長もざつと一メエトルを越えるか越えぬ位でせう。体重は医者のチヤツクによれば、二十ポンドから三十ポンドまで、――稀には五十何ポンド位の大河童もゐると言つてゐました。それから頭のまん中には楕円形の皿があり、その又皿は年齢により、だんだん固さを加へるやうです。現に年をとつたバツグの皿は若いチヤツクの皿などとは全然手ざはりも違ふのです。しかし一番不思議なのは河童の皮膚の色のことでせう。河童は我々人間のやうに一定の皮膚の色を持つてゐません。何でもその周囲の色と同じ色に変つてしまふ、――たとへば草の中にゐる時には草のやうに緑色に変り、
前へ
次へ
全39ページ中5ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
芥川 竜之介 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング