と言う訣《わけ》ではありません。口の悪い「ふ」の字軒の主人などは、「何、すむやすまねえじゃねえ。あれは体に傷をつけては二百|両《りょう》にならねえと思ったんです。」と大いに異説を唱《とな》えていました。
 半之丞の話はそれだけです。しかしわたしは昨日《きのう》の午後、わたしの宿の主人や「な」の字さんと狭苦しい町を散歩する次手《ついで》に半之丞の話をしましたから、そのことをちょっとつけ加えましょう。もっともこの話に興味を持っていたのはわたしよりもむしろ「な」の字さんです。「な」の字さんはカメラをぶら下げたまま、老眼鏡《ろうがんきょう》をかけた宿の主人に熱心にこんなことを尋《たず》ねていました。
「じゃそのお松《まつ》と言う女はどうしたんです?」
「お松ですか? お松は半之丞の子を生んでから、……」
「しかしお松の生んだ子はほんとうに半之丞の子だったんですか?」
「やっぱり半之丞の子だったですな。瓜《うり》二つと言っても好《よ》かったですから。」
「そうしてそのお松と言う女は?」
「お松は「い」の字と言う酒屋に嫁《よめ》に行ったです。」
 熱心になっていた「な」の字さんは多少失望したらしい
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