の話したままを書けば、半之丞は(作者註。田園的《でんえんてき》嫉妬《しっと》の表白としてさもあらんとは思わるれども、この間《あいだ》に割愛せざるべからざる数行《すうぎょう》あり)と言うことです。
前に書いた「な」の字さんの知っているのはちょうどこの頃の半之丞でしょう。当時まだ小学校の生徒だった「な」の字さんは半之丞と一しょに釣に行ったり、「み」の字|峠《とうげ》へ登ったりしました。勿論半之丞がお松に通《かよ》いつめていたり、金に困っていたりしたことは全然「な」の字さんにはわからなかったのでしょう。「な」の字さんの話は本筋にはいずれも関係はありません。ただちょっと面白かったことには「な」の字さんは東京へ帰った後《のち》、差出し人|萩野半之丞《はぎのはんのじょう》の小包みを一つ受けとりました。嵩《かさ》は半紙《はんし》の一しめくらいある、が、目かたは莫迦《ばか》に軽い、何かと思ってあけて見ると、「朝日」の二十入りの空《あ》き箱に水を打ったらしい青草がつまり、それへ首筋の赤い蛍《ほたる》が何匹もすがっていたと言うことです。もっともそのまた「朝日」の空き箱には空気を通わせるつもりだったと見え、べた一面に錐《きり》の穴をあけてあったと云うのですから、やはり半之丞らしいのには違いないのですが。
「な」の字さんは翌年《よくとし》の夏にも半之丞と遊ぶことを考えていたそうです。が、それは不幸にもすっかり当《あて》が外《はず》れてしまいました。と言うのはその秋の彼岸《ひがん》の中日《ちゅうにち》、萩野半之丞は「青ペン」のお松に一通の遺書《いしょ》を残したまま、突然|風変《ふうがわ》りの自殺をしたのです。ではまたなぜ自殺をしたかと言えば、――この説明はわたしの報告よりもお松|宛《あて》の遺書に譲ることにしましょう。もっともわたしの写したのは実物の遺書ではありません。しかしわたしの宿の主人が切抜帖《きりぬきちょう》に貼《は》っておいた当時の新聞に載っていたものですから、大体間違いはあるまいと思います。
「わたくし儀《ぎ》、金がなければお前様《まえさま》とも夫婦になれず、お前様の腹の子の始末《しまつ》も出来ず、うき世がいやになり候間《そうろうあいだ》、死んでしまいます。わたくしの死がいは「た」の字病院へ送り、(向うからとりに来てもらってもよろしく御座《ござ》候。)このけい約書とひきかえに二
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