く婆さんの話によれば、発頭人《ほっとうにん》のお上は勿論「青ペン」中《じゅう》の女の顔を蚯蚓腫《みみずば》れだらけにしたと言うことです。
 半之丞の豪奢を極《きわ》めたのは精々《せいぜい》一月《ひとつき》か半月《はんつき》だったでしょう。何しろ背広は着て歩いていても、靴《くつ》の出来上って来た時にはもうその代《だい》も払えなかったそうです。下《しも》の話もほんとうかどうか、それはわたしには保証出来ません。しかしわたしの髪を刈りに出かける「ふ」の字軒の主人の話によれば、靴屋は半之丞の前に靴を並べ、「では棟梁《とうりょう》、元値《もとね》に買っておくんなさい。これが誰にでも穿《は》ける靴ならば、わたしもこんなことを言いたくはありません。が、棟梁、お前《まえ》さんの靴は仁王様《におうさま》の草鞋《わらじ》も同じなんだから」と頭を下《さ》げて頼んだと言うことです。けれども勿論半之丞は元値にも買うことは、出来なかったのでしょう。この町の人々には誰に聞いて見ても、半之丞の靴をはいているのは一度も見かけなかったと言っていますから。
 けれども半之丞は靴屋の払いに不自由したばかりではありません。それから一月とたたないうちに今度はせっかくの腕時計や背広までも売るようになって来ました。ではその金はどうしたかと言えば、前後の分別《ふんべつ》も何もなしにお松につぎこんでしまったのです。が、お松も半之丞に使わせていたばかりではありません。やはり「お」の字のお上《かみ》の話によれば、元来この町の達磨茶屋《だるまぢゃや》の女は年々|夷講《えびすこう》の晩になると、客をとらずに内輪《うちわ》ばかりで三味線《しゃみせん》を弾《ひ》いたり踊ったりする、その割《わ》り前《まえ》の算段さえ一時はお松には苦しかったそうです。しかし半之丞もお松にはよほど夢中になっていたのでしょう。何しろお松は癇癪《かんしゃく》を起すと、半之丞の胸《むな》ぐらをとって引きずり倒し、麦酒罎《ビールびん》で擲《なぐ》りなどもしたものです。けれども半之丞はどう言う目に遇《あ》っても、たいていは却《かえ》って機嫌《きげん》をとっていました。もっとも前後にたった一度、お松がある別荘番の倅《せがれ》と「お」の字町へ行ったとか聞いた時には別人のように怒《おこ》ったそうです。これもあるいは幾分か誇張があるかも知れません。けれども婆《ばあ》さん
前へ 次へ
全8ページ中4ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
芥川 竜之介 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング