なし》しか知らない読者は、悲しい蟹の運命に同情の涙を落すかも知れない。しかし蟹の死は当然である。それを気の毒に思いなどするのは、婦女童幼のセンティメンタリズムに過ぎない。天下は蟹の死を是《ぜ》なりとした。現に死刑の行われた夜《よ》、判事、検事、弁護士、看守《かんしゅ》、死刑執行人、教誨師《きょうかいし》等は四十八時間熟睡したそうである。その上皆夢の中に、天国の門を見たそうである。天国は彼等の話によると、封建時代の城に似たデパアトメント・ストアらしい。
ついでに蟹の死んだ後《のち》、蟹の家庭はどうしたか、それも少し書いて置きたい。蟹の妻は売笑婦《ばいしょうふ》になった。なった動機は貧困のためか、彼女自身の性情のためか、どちらか未《いまだ》に判然しない。蟹の長男は父の没後、新聞雑誌の用語を使うと、「飜然《ほんぜん》と心を改めた。」今は何でもある株屋の番頭か何かしていると云う。この蟹はある時自分の穴へ、同類の肉を食うために、怪我《けが》をした仲間を引きずりこんだ。クロポトキンが相互扶助論《そうごふじょろん》の中に、蟹も同類を劬《いたわ》ると云う実例を引いたのはこの蟹である。次男の蟹は小説家になった。勿論《もちろん》小説家のことだから、女に惚《ほ》れるほかは何もしない。ただ父蟹の一生を例に、善は悪の異名《いみょう》であるなどと、好《い》い加減《かげん》な皮肉を並べている。三男の蟹は愚物《ぐぶつ》だったから、蟹よりほかのものになれなかった。それが横這《よこば》いに歩いていると、握り飯が一つ落ちていた。握り飯は彼の好物だった。彼は大きい鋏《はさみ》の先にこの獲物《えもの》を拾い上げた。すると高い柿の木の梢《こずえ》に虱《しらみ》を取っていた猿が一匹、――その先は話す必要はあるまい。
とにかく猿と戦ったが最後、蟹は必ず天下のために殺されることだけは事実である。語を天下の読者に寄す。君たちもたいてい蟹なんですよ。
[#地から1字上げ](大正十二年二月)
底本:「芥川龍之介全集5」ちくま文庫、筑摩書房
1987(昭和62)年2月24日第1刷発行
1995(平成7)年4月10日第6刷発行
底本の親本:「筑摩全集類聚版芥川龍之介全集」筑摩書房
1971(昭和46)年3月〜1971(昭和46)年11月
入力:j.utiyama
校正:earthian
1998年
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