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 天文十八年、悪魔は、フランシス・ザヴイエルに伴《つ》いてゐる伊留満《いるまん》の一人に化けて、長い海路を恙《つつが》なく、日本へやつて来た。この伊留満の一人に化けられたと云ふのは、正物《しやうぶつ》のその男が、阿媽港《あまかは》か何処《どこ》かへ上陸してゐる中に、一行をのせた黒船が、それとも知らずに出帆をしてしまつたからである。そこで、それまで、帆桁《ほげた》へ尻尾をまきつけて、倒《さかさま》にぶら下りながら、私《ひそか》に船中の容子《ようす》を窺つてゐた悪魔は、早速姿をその男に変へて、朝夕フランシス上人に、給仕する事になつた。勿論、ドクトル・フアウストを尋ねる時には、赤い外套《ぐわいたう》を着た立派な騎士に化ける位な先生の事だから、こんな芸当なぞは、何でもない。
 所が、日本へ来て見ると、西洋にゐた時に、マルコ・ポオロの旅行記で読んだのとは、大分、容子がちがふ。第一、あの旅行記によると、国中至る処、黄金がみちみちてゐるやうであるが、どこを見廻しても、そんな景色はない。これなら、ちよいと磔《くるす》を爪でこすつて、金《きん》にすれば、それ
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