さうである。さうして、その悪魔なるものは、天主教の伴天連《ばてれん》か(恐らくは、フランシス上人《しやうにん》)がはるばる日本へつれて来たのださうである。
かう云ふと、切支丹《きりしたん》宗門の信者は、彼等のパアテルを誣《し》ひるものとして、自分を咎《とが》めようとするかも知れない。が、自分に云はせると、これはどうも、事実らしく思はれる。何故と云へば、南蛮の神が渡来すると同時に、南蛮の悪魔が渡来すると云ふ事は――西洋の善が輸入されると同時に、西洋の悪が輸入されると云ふ事は、至極、当然な事だからである。
しかし、その悪魔が実際、煙草を持つて来たかどうか、それは、自分にも、保証する事が出来ない。尤《もつと》もアナトオル・フランスの書いた物によると、悪魔は木犀草《もくせいさう》の花で、或坊さんを誘惑しようとした事があるさうである。して見ると、煙草を、日本へ持つて来たと云ふ事も、満更嘘だとばかりは、云へないであらう。よし又それが嘘にしても、その嘘は又、或意味で、存外、ほんとうに近い事があるかも知れない。――自分は、かう云ふ考へで、煙草の渡来に関する伝説を、ここに書いて見る事にした。
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