ていた。
「今、西の市《いち》で、績麻《うみそ》の※[#「廛+おおざと」、第3水準1−92−84]《みせ》を出している女なぞもそうでございますが。」
「だから、私はさっきから、お爺さんの話を聞きたがっているじゃないか。」
二人は、暫くの間、黙った。青侍は、爪で頤《あご》のひげを抜きながら、ぼんやり往来を眺めている。貝殻のように白く光るのは、大方《おおかた》さっきの桜の花がこぼれたのであろう。
「話さないかね。お爺さん。」
やがて、眠そうな声で、青侍が云った。
「では、御免を蒙って、一つ御話し申しましょうか。また、いつもの昔話でございますが。」
こう前置きをして、陶器師《すえものつくり》の翁は、徐《おもむろ》に話し出した。日の長い短いも知らない人でなくては、話せないような、悠長な口ぶりで話し出したのである。
「もうかれこれ三四十年前になりましょう。あの女がまだ娘の時分に、この清水《きよみず》の観音様へ、願《がん》をかけた事がございました。どうぞ一生安楽に暮せますようにと申しましてな。何しろ、その時分は、あの女もたった一人のおふくろに死別《しにわか》れた後で、それこそ日々《にちにち》
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