空を指さした。その鞭の下には、的※[#「白+轢のつくり」、第3水準1−88−69]《てきれき》として、午後の日を受けた近江《あふみ》の湖が光つてゐる。
 五位は、狼狽《らうばい》した。
「敦賀と申すと、あの越前《ゑちぜん》の敦賀でござるかな。あの越前の――」
 利仁が、敦賀の人、藤原|有仁《ありひと》の女婿《ぢよせい》になつてから、多くは敦賀に住んでゐると云ふ事も、日頃から聞いてゐない事はない。が、その敦賀まで自分をつれて行く気だらうとは、今の今まで思はなかつた。第一、幾多の山河を隔ててゐる越前の国へ、この通り、僅二人の伴人《ともびと》をつれただけで、どうして無事に行かれよう。ましてこの頃は、往来《ゆきき》の旅人が、盗賊の為に殺されたと云ふ噂《うはさ》さへ、諸方にある。――五位は歎願するやうに、利仁の顔を見た。
「それは又、滅相な、東山ぢやと心得れば、山科。山科ぢやと心得れば、三井寺。揚句が越前の敦賀とは、一体どうしたと云ふ事でござる。始めから、さう仰せられうなら、下人共なりと、召つれようものを。――敦賀とは、滅相な。」
 五位は、殆どべそ[#「べそ」に傍点]を掻かないばかりになつて、
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