、両足を入れて馬に乗らうとした話が、一座の興味を集めてゐた。が、五位だけは、まるで外の話が聞えないらしい。恐らく芋粥の二字が、彼のすべての思量を支配してゐるからであらう。前に雉子《きぎす》の炙《や》いたのがあつても、箸をつけない。黒酒の杯があつても、口を触れない。彼は、唯、両手を膝の上に置いて、見合ひをする娘のやうに霜に犯されかかつた鬢《びん》の辺まで、初心《うぶ》らしく上気しながら、何時までも空になつた黒塗の椀を見つめて、多愛もなく、微笑してゐるのである。……
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それから、四五日たつた日の午前、加茂川の河原に沿つて、粟田口《あはたぐち》へ通ふ街道を、静に馬を進めてゆく二人の男があつた。一人は濃い縹《はなだ》の狩衣《かりぎぬ》に同じ色の袴をして、打出《うちで》の太刀を佩《は》いた「鬚黒く鬢《びん》ぐきよき」男である。もう一人は、みすぼらしい青鈍《あをにび》の水干に、薄綿の衣《きぬ》を二つばかり重ねて着た、四十恰好の侍で、これは、帯のむすび方のだらしのない容子《ようす》と云ひ、赤鼻でしかも穴のあたりが、洟《はな》にぬれてゐる容子と云ひ
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