女と別れるくらいは、何でもありませんといっているじゃないか? たといそれは辞令《じれい》にしても、猛烈な執着《しゅうじゃく》はないに違いない。猛烈な、――たとえばその浪花節語りは、女の薄情を憎む余り、大怪我をさせたという事だろう。僕は小えんの身になって見れば、上品でも冷淡な若槻よりも、下品でも猛烈な浪花節語りに、打ち込むのが自然だと考えるんだ。小えんは諸芸を仕込ませるのも、若槻に愛のない証拠だといった。僕はこの言葉の中にも、ヒステリイばかりを見ようとはしない。小えんはやはり若槻との間《あいだ》に、ギャップのある事を知っていたんだ。
「しかし僕も小えんのために、浪花節語りと出来た事を祝福しようとは思っていない。幸福になるか不幸になるか、それはどちらともいわれないだろう。――が、もし不幸になるとすれば、呪《のろ》わるべきものは男じゃない。小えんをそこに至らしめた、通人《つうじん》若槻青蓋《わかつきせいがい》だと思う。若槻は――いや、当世の通人はいずれも個人として考えれば、愛すべき人間に相違あるまい。彼等は芭蕉《ばしょう》を理解している。レオ・トルストイを理解している。池大雅《いけのたいが》
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