》をはいた小さな――非常に小さな――巫女《みこ》が舞ふのが、矢張《やは》り優美だつたといふ記憶がのこつてゐる。勿論其時分は春日《かすが》の社《やしろ》も今のやうに修覆《しうふく》が出来なかつたし、全体がもつと古ぼけてきたなかつたから、それだけよかつたといふ訣《わけ》だ。さういふ京都とか奈良とかいふ処は度々ゆくが、冬といふとどうもその最初の時の記憶が一番|鮮《あざや》かなやうな気がする。
それから最近には鎌倉《かまくら》に住《すま》つて横須賀《よこすか》の学校へ通《かよ》ふやうになつたから、東京以外の十二月にも親しむことが出来たといふわけだ。その時分の鎌倉は避暑客のやうな種類の人間が少いだけでも非常にいい。ことに今時分の鎌倉にゐると、人間は日本人より西洋人の方が冬は高等であるやうな気がする。どうも日本人の貧弱な顔ぢや毛皮の外套《ぐわいたう》の襟へ頤《おとがひ》を埋《うづ》めても埋め栄《ば》えはしないやうな気がする。東清《とうしん》鉄道あたりの従業員は、日本人と露西亜《ロシア》人とで冬になるとことにエネルギイの差が目立つといふことをきいてゐるが、今頃の鎌倉を濶歩《くわつぽ》してゐる西洋人
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