じろ眺めたりした。
お民の葬式をすました夜、お住は仏壇のある奥部屋の隅に広次と一つ蚊帳《かや》へはひつてゐた。ふだんは勿論二人ともまつ暗にした中に眠るのだつた。が、今夜は仏壇にはまだ燈明もともつてゐた。その上妙な消毒薬の匂も古畳にしみこんでゐるらしかつた。お住はそんなこんなのせゐか、いつまでも容易に寝つかれなかつた。お民の死は確かに彼女の上へ大きい幸福を齎《もたら》してゐた。彼女はもう働かずとも好かつた。小言を云はれる心配もなかつた。其処へ貯金は三千円もあり、畠は一町三段ばかりあつた。これからは毎日孫と一しよに米の飯を食ふのも勝手だつた。日頃好物の塩鱒《しほます》を俵《たはら》で取るのも亦勝手だつた。お住はまだ一生のうちにこの位ほつとした覚えはなかつた。この位ほつとした?――しかし記憶ははつきりと九年前の或夜を呼び起した。あの夜も一息ついたことを思へば、殆ど今夜に変らなかつた。あれは現在血をわけた倅の葬式のすんだ夜だつた。今夜は?――今夜も一人の孫を産んだ嫁の葬式のすんだばかりだつた。
お住は思はず目を開いた。孫は彼女のすぐ隣に多愛のない寝顔を仰向けてゐた。お住はその寝顔を見てゐる
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