待て。どうかその前に聞かせて呉れ。絶えず僕に問ひかけるお前は、――目に見えないお前は何ものだ?
或声 俺か? 俺は世界の夜明けにヤコブと力を争つた天使だ。
[#ここで字下げ終わり]
二
[#ここから改行天付き、折り返して1字下げ]
或声 お前は感心に勇気を持つてゐる。
僕 いや、僕は勇気を持つてゐない。若し勇気を持つてゐるとすれば、僕は獅子の口に飛び込まずに獅子の食ふのを待つてゐるだらう。
或声 しかしお前のしたことは人間らしさを具へてゐる。
僕 最も人間らしいことは同時に又動物らしいことだ。
或声 お前のしたことは悪いことではない。お前は唯現代の社会制度の為に苦しんでゐるのだ。
僕 社会制度は変つたとしても、僕の行為は何人かの人を不幸にするのに極《き》まつてゐる。
或声 しかしお前は自殺しなかつた。兎に角お前は力を持つてゐる。
僕 僕は度たび自殺しようとした。殊に自然らしい死にかたをする為に一日に蠅《はへ》を十匹づつ食つた。蠅を細かにむしつた上、のみこんでしまふのは何でもない。しかし噛みつぶすのはきたない気がした。
或声 その代りお前は偉大になるだらう。
僕 僕は
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