如き、「寺僧病人問答の事」の如き、或は又「仏者と儒者|渡唐天神《とたうてんじん》を論ずる事」の如き、論理の筆を弄《ろう》したるものは如何《いか》に贔屓眼《ひいきめ》に見るにせよ、概《おほむ》ね床屋《とこや》の親方の人生観を講釈すると五十歩百歩の間《かん》にあるが如し。因《ちなみ》に云ふ。「古今《ここん》実物語」は宝暦《はうれき》二年正月出板、土冏然《とけいぜん》の漢文の序あり。書肆《しよし》は大阪南本町一丁目|村井喜太郎《むらゐきたらう》、「古今百物語」、「当世百物語」号と同年の出版なりしも一興ならん乎《か》。

[#5字下げ]二 魂胆色遊懐男[#「二 魂胆色遊懐男」は大見出し]

「魂胆色遊懐男《こんたんいろあそびふところをとこ》」はかの「豆男江戸見物《まめをとこえどけんぶつ》」のプロトタイプなり。予の家に蔵するは巻一、巻四の二冊なれども、大豆右衛門《まめゑもん》の冒険にはラブレエを想はしむるものなきにあらず。
 大豆右衛門は洛東《らくとう》山科《やましな》の人なり。その母「塩の長次《ちやうじ》にはあらねど、夢中に馬を呑むと見て、懐胎したる子なるゆへ」大豆右衛門と称せしと云へば、この
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